土曜日と日曜日


土曜日。

テーラワーダ仏教の幡ヶ谷での初心者瞑想会に行きました。
スマナサーラ長老、というスリランカ人のお爺さんが日本語で話していました。
日本人のお坊さんのイメージとは違い、
時々、「〜〜ジャナーイデショウ!!??」とか叫ぶときがあって、
声は怒ってるみたいにも聞こえるし、うわっ、て思いましたが、
顔を見ると笑ってるし、
なにかいい雰囲気でてるし、いやな感じの少ない不思議なものでした。

午前中はその長老の話を聞いて、午後は瞑想の実践でした。
と言っても、長老の話がまた1時間半くらい続いて、
正直、
オレは瞑想の実践がしたくて来てるんだけど、、
その話オレ知ってるし聞かなくていいんだけど、、
とも思ったし、
でも不思議と、
長老の醸し出す雰囲気がよくて、そこに居られました。

で、やっと瞑想の実践に入って、
いくつか、
たとえば、
あぐらのように座って、右手をゆっくり上げる、ゆっくり上げる、止める、
下ろす、下ろす、下ろす、、元と同じ場所にもどす。
というのをやりました。
そのあいだ、手の感覚が変わっていくことを感じるのが大事、
思考はいらない、
心の中で自分のやってること、上げる、上げる、、をずっと唱える、動詞で唱える、
というのでした。

おそらく、

感覚の変化を感じるのは、自分という不変主体は無く、無常であることを知るため、
行動を唱えるのは思考を消すため、
思考を消すのは、思考を消して感覚に集中するのが悟りの手法だから、

と、思われます。

「自己観察」という言葉をしきりに使っていました。

「悟り」という言葉は使っていませんでした。

「安穏」がこの瞑想により訪れる、という旨のことを言っていた気がします。

たしかに「安穏」としました。

長老曰く、
その日の瞑想を繰り返せば、2〜3週間で解脱するそうです。
(解脱、って言うとあやしいですけど)

長老、

瞑想のこと以外、社会についてとか、では、
あれ、ちょっと間違ってるかも、とか、
あれ、また同じ話してない?とかあったのですけど、

瞑想のことになると、シャキっとして、
明確に決定している手法を、迷いなく簡潔に説明してるな、という印象でした。

瞑想って、スポーツみたいだなと思いました。

目的とする状態が決まっていて、
そのための手法も決まっていて、
それに要する期間も大まかに分かっていて、、

スポーツで、
「試合に勝つために、この技能が必要で、そのためにこのトレーニングを何日間やります」

ていうのといっしょですよね。

意外とこんなに明白なものなんだなと思いました。


なんですけど、、、


16時の休憩の時点で、
なんかもう居らんないな、帰ろ、

と、帰っちゃいました。

あんまり一日に沢山これ以上インプットいらないよー、という感じ。

あとまあ、
また休憩あけに長い話きかされたらたまらん、とか、
古株っぽい人が頼んでもいないのに瞑想中にこちらの姿勢を矯正する、とか、
参加者にたまに変な人も居て途中からずっとブツブツ独りごと言いだした、とか、

あげつらおうと思えば、
いくらか嫌な点もありました。

まあでも、もう一回ぐらい行ってみるかな、と思ってます。


ほかにも書きたいことあったのですけど、
長くなったので終わります。

日曜日までたどりつかなかったや。


おわり。




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by toshiokake2 | 2018-04-24 17:46
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