散歩



いま この時も きみは

新しい 世界を 見ている


いま この時も きみは

新しい 笑顔を 見せてる



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娘のこと、
散歩のこと、
記号(言語)情報のこと、

twitterのこと、、

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水道の仕事を一時頃に終え、同僚のS君とメシに行って風呂に行く。
子安の鷲の湯、ここはラジウム泉の黒いお湯と水風呂がとてもいい。体に合っているようでいつもリフレッシュする。今日は薬を飲んでも治らない夏風邪を、無理矢理デトックスするために行って来た。

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風呂から帰って自宅で5時半ごろまで寝る。

寝て起きるとずいぶん体調が快調になっている。HPゼロだったのが60%ぐらいまで。風邪だし大人しくしてたい所だが、部屋にいても倦んでしまうので散歩に出ることにする。近くのお気に入りの堤防を目的地にしようかと思うが、すぐ振り払って、目的なく出かけることにする。

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はじめてのところを、はじめて歩くように歩きたい。見慣れた近所の散歩道でも、つぎに何が起るかわからない、はじめての瞬間を歩いている気分で、自由な気持ちで歩く。するといつもと違う所で曲がろうとする。そのまま曲がると、知らない景色が見える。きっと通ったことはある道、けれど気付かなかった塀の隙間、草の生え方、苔のむし方、そんなものが見える。

しばらく行くとまた、今度は本当に見たことのない家が見える。平屋だけど天体観測所のような半球形のドームに、ニョキと玄関部分などせり出している作り。材質はおそらく木造で、屋根は緑、壁はライトベージュの、北海道とかにありそうな家を、すこしこっちサイズ&カラーリングにしたような家。壁沿いの空きスペースには薪、薪ですよマキ!が、たくさん積んである。所さんなんかが好きそうな家だ。こぢんまりしているながらも、この都会で省スペースで遊び心のある家を作ろうとしたハートを感じる。車は小さな軽。敷地表には夕顔かなにかのツタがカーテンを作っていた。

もう何百回も自転車で近くを通ってる場所。だけども気付かなかった。

目的地を決めずに歩くことは、ずいぶん久しぶりです。

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もともとこの横浜に戻って来たとき、5〜6年前は、
よくこうして目的もなく歩いていた。

目的のない散歩には発見があった。


もうしばらく、そういうこともしなくなった。

散歩に出るにしても、
臨港パークや、川辺の堤防や、目的地を決めて出かけるようになっていた。

目的地が決まってないと安心して出られないような、そんな気分になっていた。


まわりの人を見ていても、
なんだかそうして、ムダな段取りを決めたがり過ぎる人というのはいる。
そういうのを見て知っているのに、なんだか自分もそのようになる。

なにかに焦っているが、焦ってなにかを終わらせても、
あまった時間でやることなど、ほんとうは無いのだ。

それなのに、ああいう風になってしまう。あれはいったいなんだろう?


・・・


お店をやめたことで、こういう時間もとれるようになったのかと思う。

お店をやっていても、こういう時間がとれないなら、意味はない。


なんとなく心のリズムが、

またお店をはじめるまえ、はじめたころのように戻って来ているとしたら、

うれしい。


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自由な発想をもっていたい。

毎日を、少しずつちがう日々、はじめて見る日のようにすごせたら良いと思う。

つぎに何が起るかわからない、あした死ぬかもしれない、

そうした未知へのワクワクとドキドキに視野・感覚が開く。心は自由になる。


生き物とはもともとそうして生きているものでしょうか?


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・・・


長くなったのでtwitterと記号情報のことは端折ります。

冒頭の詞は、、

ああそう、


風呂でtwitterの話をSくんにしてて、

僕は夜の帰宅後にtwitterを見てしまうクセがあるのだけど、

「なにか」を探してグリグリ、ぐりぐり、スクロール、、、

「なにか」あるような気がして、スクロール、

でも、

「なにか」なんて無いんだよね。

それでもなんだか見てしまって、、

なんだか最終的にはさみしくなる、それはまるで、自分を見ていない人ごみの中を歩いたような。。


これはほんとにバカらしい、

じぶんでわざわざtwitter見て、そんでわざわざ、さみしがってんだから、、

(さみしいというか、、)

(これは記号情報と現実の齟齬による混乱とも思うのですが、、さておき、)

自分で自分を奴隷にしてるというか、、

自分で自分を文字の奴隷にしてるというか、、


アホだ。


アホがいる一方で、


アホの娘を見ていると、これはほんとうに素敵だ。


子供はすべてをまるではじめて見るように見る。

はじめてのものを見て、はじめて考えて、じゃあこうしよう、とする。

駐車場のフェンスも、娘には、壁づたいに歩くゲームだったりする。

塀はアスレチック。

こんなふうに世界が見れていれば、楽しいだろうなあと思う。


はじめてのものを見て、はじめての笑顔を見せる。

娘から学ぶことは多いです。


父がかってに言葉に埋没して苦悩している時も、

娘はどこかで、新しいものを見て、
笑ったり、考えたり、
しているだろうなあ、

と思ってたら、


冒頭の詞がでてきました。



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by toshiokake2 | 2017-08-03 19:18 | Notes
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