今日は遅めの日記


今日は遅めの日記。

今日あったことは、、
水道、契約、ライブ、台北の若者、かな。

水道のバイトにいつも通り行く。今日はここは割愛。

不動産会社に行ってお店の物件の解約手続きをする。これもまあいい。

ライブ、佐立努さんのリリースパーティー@下北沢440、に行く。前座が王舟さん。共通の知り合いが多く、気になっていたけど今回が初めて。良かった。佐立さんバンドも、ほんとみんな、メンバーみんな佐立さんが好きなんだなあ、という音。僕も好きだよ。佐立さんの今までの静かな音だけでなくて、バンドになって騒がしいバンドらしい音も出してて、ああ、もっと良くなるなあ、きっと。と思った。途中2度ほど涙腺がゆるんだ。CDを買って帰ろうと思ったら200円足りなかった。東横線に乗って帰宅。大嫌いだったはずの夜中の帰り東横線も、今日はさほどでもなかった。

自分の軸がまた出来て来てる感じがする。

そもそも前に言われてたことは「傍若無人」、
ひとのことなんて大して気にせず、自分のやりたいようにやる、というタイプだったんだけど、いつしか人に気を使うことを覚えて、それはそれで新しいことで「ボクできるかな?」ていうのを楽しんでもいたんだけど、

やっぱそれじゃダメだ。
なんか最近は「知ったこっちゃねえ」というキーワードを時々持ち出して、ひとのことを気にしすぎそうな時に、いやいや、それじゃ結局ダメだ、と戻って来たりする。わからない、ひとの感情や、悲しみ、目の前にいない人の気持ちを想像して、勝手に気を使ったり、悲しみに同調したり。そんなことはもうヤメだ。というか僕には向いてない。みたい。自分の軸がなくなってしまって、ひとを心配してるようでありながら、自分がそれに依存してしまう。軸がなくなってすがるようになってしまう。

何事も「ちょうど良く」ということが出来ない。
印象的だったのはテニスサークルに入ってた時のことで、自分が「勝つため」に全力でプレイしてるといいプレイが出来るんだけど、初心者との(ぼくも毛が生えたぐらいですけど)ラリーとかで、「ちょうどいい球」を返そうとすると、とたんに腕がちぢこまって、ネットかけたりしちゃう。「ちょうど良く」ができない。「全力」か「ゼロ」だけだ。「ひとに『ちょうど良く』気を使う」ということが、、できなくはないんだけど、、やっぱり苦手みたいだ。知らず知らずのうちに心労をためてしまう。

いつもライブを見てるときも、
自分のリアクションで演奏者にわるい影響を与えてないかな、演者が気持ちよくできるように笑顔を見せなきゃ、とか、よくわからない気の使い方をしたり、これはこうだからこうだな、とか、評論することや、あとで感想を聞かれたときの返し方とか、考えてしまう。

もうそんなのはヤメだ。
知ったこっちゃねえ。と思うと、素直に聞ける。

「自分の軸」がない人を軽蔑していたのに、いつの間にか自分が、「軸のない人」になっていた。もうそんなのはヤメようと思う。誰も僕が悲しむことを期待してなんかいないし、気を使いすぎることを期待してなんかいない。それで喜ぶ人はいないくて、みな僕が好きにすごして、笑顔である方がいいと思ってる。と思うことにした。

なんかずいぶん恥ずかしい文章になってしまった。

まあでも、それで行きます、とうぶん。


帰宅して宿泊の台湾の若者5人とすこし話す。ギターを弾いたりしながら。
台北から来たというので、僕も台北いったことあるよ、あの小さい本屋さんが良かった、と言うと、どこどこ?なになに?と聞くので教えると、

「僕、3年前にそこで働いてたよ。」と言う。

奇遇なもんです。

その本屋さんは vvg book taipei で検索すると出て来ます。入口の感じがいいんだけど、画像検索であんまり入口でてこないな。グリーンとか多くてさ。台北は個人宅でもグリーンの多い街でした。そゆのいいな。
本屋さんは雰囲気が良くて、買う本はなかったんだけど、音楽も良かったので、「誰の?」と聞いて帰りました。

今回の宿泊者たちみたいな、
こういう出会いは楽しいな。ほんとゲストハウスやってる醍醐味。「もうちょい続けたいな〜」とか瞬間的には思うんだけど、やっぱね。退去告知もしちゃったし。

ま、またやりたくなったら、また出来るし、いっか!(ホントかよ)

てことで。

おやすみなさい。




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by toshiokake2 | 2017-02-10 01:04
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