散文 娘へ 2015.7.14


自転車に乗って浅草へ行ってみる。

往復6時間。

自転車を降りると同時に両足がつる。

---

24才の時にある体験をしました。

夜中にベッドにあお向けになって考え事をしていると、

急に、


あ、なるほど、

そうか、そうだったんだ。

という気付きと安心感が得られたのです。


気付き、とはどんな事かというと、


それより前には、

自分というのはこの体の内側のことで、

体が死んで思考が止まれば自分も終りだと思っていたのですが、


気付いた時に、

自分というのは、

自分をとりまく人々も、

いま肌にふれている布団も、

この空気も、

部屋の外にある道路のアスファルトも街路樹も、

この国にあるもの全ても、この地球も、それのある宇宙も、

全部が自分なんだな、

と気付いたということです。


もしかするとあなたは、

こういう話をすでに聞いたことがあるかもしれません。

その頃の私もそうだったように思います。


しかし、

知識として、そういう事もあるらしいと知っているという事と、

現実として、それを実感するという事は、

本人にとっては、全くちがう出来事です。


その時は、

急に、

先述のような、

身近なものから遠大なものまで、

様々なもの、人のイメージが急速に見えては切り替わって行き、

さながら映像の洪水のようでした。


体感的には、

30秒間で1000枚ほどの画像を見せられたような感覚です。


そして気付きを得て、

とても大きな安心感に包まれました。


ああ、

なるほど、大丈夫だ、

じゃあ僕も世界も大丈夫だ、


と、

言葉にするならそうした安心感を、

ずいぶんと大きくしたもののような、

そんな安心感でしょうか。


この、

気付きの感激と、

そこから来る大きな安心感は、


当時の自分にとって、

ほかに比べるもののないほど大きなもので、


翌日には道を歩いていても

植え込みの葉や 転がる石ころが

キラキラと輝いて見え 親愛の情をおぼえましたし、

行き交う人々も愛おしく見えたものです。


あらゆることが許せました。


それから数日は、

その大きな安心感の中で とても穏やかに過ごしたのですが、


だんだんと不具合を感じるようになりました。


当時の私は書店のような所で働いていたのですが、

とにかくあらゆることが許せてしまうので、

本が多少乱れたりしていても、

ほとんど直す気が起きないのです。


また、

忙しいお店だったのですが、

私はとても穏やかな心持ちでゆったりと動いておりますので、

ペースが合わないのです。


そうした不具合があり、


うーん、

これは困ったな、

どうしよう、


仏門に入るか、

書店員を続けるか、


今のところは書店が良いかな、

仏門は老いてからでも入れるし。


と、

いまにして思えばずいぶんイージーな二択問題をかってに作って、

もったいないやり方をしたなと見えますが、


そんなわけで私はいったん 気付きと安心感はわきに置いて、

それから10年ほど書店のようなところで働くことになるのでした。

---

以下は余談ですが、

---

いま私はツールとしての言葉・論理・文字を使わない方法に興味が少々向いていて、

(というのも、そうしたものにずいぶん依拠して暮らして来たな、と思ったりするのです)

今日、
あらためて気付いた時のことを振り返ってみると、

その時に見たものはヴィジョンであって、
文字や言葉が一切出て来ていなかったようですね。

あっ、
おもしろいな!

と思いました。

---

また、

今日のような話というのは、

女性の多くはすでに知っている、
意識上では認識していなくても、
見ていると、
無意識には知っているのじゃないかな、
とよく思います。

そもそも僕もあなたも皆、
こうした事は無意識には知っているのではないかと思います。

しかしながら、
意識の司る思考や行動と、
無意識の知っている事の、
ギャップが大きくなっている時に、
ギャップを埋めるための気付きが必要になって、
そういう時にきっかけを得ると、
急に、
ドラマティックな気付きを体験するのではないかと・・

逆に言うと、
そのギャップの小さい人は、
それを埋める必要性も小さいので、
ドラマティックな体験は、いらないのではないかと・・

高低差の激しい滝か、
穏やかに流れる川か、みたいな・・

とか想像します。

あまり男と女でわけていると、おこられるかもしれませんが、
こうしたことは、
どちらかというと女性の方がわかっているように感じるのです。
わかっているというか、余計なもので覆い隠さないというか・・

---

今日の話に関わる本は以下です。

攻殻機動隊 士郎正宗
SFエンタテイメントとして優れている傍ら、私にとっては死生観に大きな影響を与えた漫画です。これを読んだ事により、物心問題を切り捨て、世界のすべてを情報としてフラットに捉えるようになり、自分が物理的情報として、あるいは情報として、誕生以前・死後に関わらず存在していた・存在し続ける、と捉えるようになりました。気付きを体験する前に読んだ本で、その土壌をつくったのかもしれません。(店内蔵書場所:階段のどこか)

迷える者の禅修行 ネルケ無方
便所の窓から葉っぱを見て気付きを得る時の感覚が、私のその時に似ています。(店内蔵書場所:誰かにあげてしまいました。近日再入荷。1階右手前仏教コーナーへ)

あっかんべェ一休 坂口尚
2巻164ページ、一休がカラスの声を聞いて悟るシーンが、私の気付いた時に似ています。(店内蔵書場所:1階右手前仏教コーナー)

プラネテス 幸村誠
2巻ラストが、私の気付き体験に似ています。この人も似た体験をしたのでしょうか。その後に描いているヴィンランド・サガも、気付きを得た人がまた俗にまみれながら、己の俗も見つめながら務めを果たそうとなさっているようにも感じられます。できれば一度お会いしてお話ししてみたいです。(店内蔵書場所 プラネテス:階段の途中 ヴィンランド・サガ:1階左くぼみ手前側本棚)

(店内蔵書場所は本日現在)


---


自転車に乗って浅草へ行ってみる。

往復6時間。

自転車を降りると同時に両足がつる。

こんなに長時間自転車こいだのは初めて。

お父さんはこういうコツコツ筋肉努力系は大嫌い。

とうぶんいいな。

でもその後のスーパー銭湯は最高。

大きくなったらお風呂屋さんになりたい。


そのほか詳しくは About 喫茶へそまがり
[PR]
by toshiokake2 | 2015-07-14 09:02
<< 7.15Wed 7/10Fri >>